エベレスト街道ひとり旅(3日目:カトマンズ→ルクラ→モンジョ)

2013年11月4日(月)4:30起床。

いざ、ヒマラヤへ

いよいよ今日から、エベレスト街道のトレッキングです。
私は、エベレスト街道に持っていくザック(50L)と、国内線の機内に持ち込む荷物と、ホテルに預かってもらう荷物とを分けました。
と言っても、ホテルに預かってもらう荷物は、地球の歩き方2冊(上海と昆明)だけだったんですけどね。
預かってもらえるのかどうか、確信は無かったのですが、ホテルのフロントに頼んでみると、すんなり預かってくれました。
ちなみに、自分の荷物を識別できるタグのようなものは、一切ありません。
4日後に戻ってきた時に、その荷物を受け取れるのかどうか、定かではありませんでした。

ホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらいました。
タクシーは3分くらいで来たと思います。
ホテルから空港まで、タクシー代はRs600でした。

6:00 トリブヴァン空港 国内線ターミナル着 チェックイン

トリブヴァン空港 国内線ターミナル

国内線ターミナルは、すごい人でした。
ターミナルは活気に満ちていました。
みんな大きな荷物を持っていて、おそらくそのほとんどが、ヒマラヤトレッキングだと思います。
私のように小さなザックの人はいなくて、みんな、ものすごく大きな荷物を持っていました。
長期間トレッキングをするのですね。
それに、荷物はポーターやゾッキョが運びますから、コンパクトにする必要も無いのでしょう。

ターミナルの建物の中には、木造の小さなカウンターが並んでいました。
各航空会社のチェックインカウンターです。
どのカウンターも同じ大きさで、幅が1.5mくらいでした。
そこに、それぞれ数人のスタッフが立っていました。
(誰もいないカウンターもありましたが。)
空港のチェックインカウンターと言えば、荷物を運ぶベルトコンベアがありますが、この空港には無いようで、荷物はネパリが運んでいました。

私は、予約している Tara Air のカウンターを見つけて並びました。
カトマンズからルクラへ向かう飛行機では、左側の窓からエベレストが見えるはずです。
「左側の窓側の席は空いてますか?」と聞くと、「自由席」とのことでした。
いち早く乗り込んで、左側の席を確保しないとです。
私の荷物は小さかったからか、預かってもらえず、機内持ち込みとなりました。

Tara Air の Boarding Pass

カトマンズからルクラへ

事前に調べた情報では、ネパールの国内線は、3〜4時間遅れるのが当たり前ということでした。
私の飛行機は、7:45発でしたので、おそらく11時〜12時くらいの出発になるだろうと心構えしていました。
スタッフに状況を聞いてみると、「フライトはオンスケジュール。君のフライトは after 40 minuts だよ。」とのことでした。
いい感じです。
1日目の目的地は Phakding(パクディン)の予定でしたが、これなら、その先の Monjo(モンジョ)まで行けそうです。

フライトまで時間があるので、私は売店でミルクティーとサンドイッチを買いました。Rs370でした。
飛行機を待ちながら、ターミナル内を眺めました。
ほとんどの旅行者が、グループ山行です。
みな、仲間と楽しそうに話していました。見ているだけで、ワクワク感が伝わってきました。
みな、荷物を預けてますので、ほとんどの人が手ぶらで歩き回っていました。
チェックインが済んでもなお、ザックを抱えている旅行者は、私だけでした。

ターミナルから滑走路まではバスで移動しました。
バスに乗り込むと、なんと、日本人の男子が乗っていました。
ターミナル内では全く気付きませんでした。
その男子は、昨日の夕方の便に30分くらい乗ったのですが、ルクラの空港が閉鎖されていて着陸できず、カトマンズに引き返したのだそうです。
彼もガイド無し、ポータ無しのバックパッカーでした。TIMSカードも持っていませんでした。
10日間でカラパタールまで往復するとのこと。登山経験を聞くと、富士山しか登ったことないと言っていました。
私より無謀な人がいました^^;

Tara Air の飛行機

7:35「Tara Air, Tara Air, Tara Air」
私の便が搭乗開始のようです。
手ぶらの旅行者は、我先に飛行機に乗っていきました。
50Lのザックを担がなければならない私は、すっかり出遅れてしまいました。
私は、最後の搭乗者になってしまいました。
左側の窓側の席は絶望的です。

機内に入ると、座席は2列しかありませんでした。
これなら右側の人も、左側の窓が見えそうです。焦る必要はありませんでした。
しかし、すべての座席が埋まっていました。
ん?私はどこに座るんだ?
するとキャビンアテンダントさんが、一番うしろの特等席へ案内してくれました。

ルクラに向かう国内線の機内

写真左下に写っているのが、私のザックです。

耳栓と飴ちゃんが配られました。
私は、飴ちゃんをすぐ口に入れました。耳栓は使いませんでした。
キャビンアテンダントさんは、私の隣に座りました。

8:10 飛行機が離陸しました。

ルクラに向かう飛行機から見えたエベレスト

離陸して10分もすると、ヒマラヤが見えてきました。
まず、マナスル、アンナプルナ、ダウラギリの3連山が見えてきました。

国内線から見えたヒマラヤ 1

世界の屋根ヒマラヤは続きます。
エベレストは、まだ見えません。

国内線から見えたヒマラヤ 2
国内線から見えたヒマラヤ 3

機体が傾いてきました。
ん?着陸態勢に入ったのかな?

国内線から見えたヒマラヤ 4

ヒマラヤに接近してきて、窓の景色はどんどん変わっていきます。
エベレストは、まだ見えません。

国内線から見えたヒマラヤ 5

どんどん山に近づいてます。
エベレストはまだ見えません。

国内線から見えたヒマラヤ 6

えーん(>_<)
エベレストが見えない!
見逃しちゃったかな?
と、その時!

国内線の窓から見えたエベレスト

見えました!!!エベレストです!!!
機内から「オオォーーー!!!」という歓声が湧き上がりました。
みんな息を殺して凝視してたようです。
エベレストはほんの数秒しか見えませんでした。

8:40 世界一危険なルクラ空港に着陸

エベレストが見えた興奮も冷めやらないうちに、着陸となりました。
ルクラ空港は、世界一危険な空港と言われています。
(※危険なイメージが付いてしまったため、2008年に「テンジン・ヒラリー空港」に改名したそうですが、私が行った2013年も「ルクラ空港」でした。「テンジン・ヒラリー」の文字は、一度も見なかったと思います。)
山の斜面に造られた滑走路は1本のみで、全長527mしかなく、着陸するときは、斜面を登る摩擦で止まり、離陸するときは、斜面を駆け落ちる勢いで飛ぶという、驚異の空港なのです。
私たちの機は、とてもスムーズに着陸しました。
乗客たちは、力いっぱいの拍手をパイロットに贈りました。

ルクラ空港(現テンジン・ヒラリー空港)

写真を撮って、空港の様子を眺めていたら、取り残されてしまったようで、気付けば誰もいなくなっていました。
どこから出ればいいんだろう???
見渡してみると、金網フェンスの一部が扉になっているのがわかりました。
扉に近付いてみると、鍵はかかっておらず、開けて外に出ることができました。
おそらく、そこは乗客の出口ではなく、スタッフの出入り口だったんだと思います。
私はよくわからず、そこから出てしまいました。
変なところから出てきた日本人を見て、周りのネパリはキョトンとしてました。

ルクラの空港を出たところ

エベレスト街道の出発点 ルクラの街で・・・

正規の出口ではない、変なところから出てしまった私は、空港の周りをぐるりと迂回して歩いていきました。
すると、大きな門が見えました。そこがルクラの街の入口でした。

ルクラの街

門をくぐると、ルクラの街にはたくさんの人が行き交っていました。
ホテルや店がたくさんありました。登山用品店、雑貨店、カフェ、レストランなど。
タメルのストリートにも、いろんな店がありましたが、ここは雰囲気が違いました。
だって、ここに来る旅人は皆、エベレストへ向かうクライマーなのですから。
そこは、世界中からクライマーが集まる「クライマーの楽園」といった感じでした。
私はとうとう、クライマーの聖地『エベレスト街道』にやって来たのです!

しかし、感動の余韻に浸っているヒマはありません。
これから、山道を歩くのです。
1分1秒でも早く、明るいうちに安全に目的地に着くよう、自分の最大限の力を出して、歩く必要があります。
(この辺は、長年登山をやってる者として、真剣です。)
今日の目的地は、パクディン改めモンジョです。
モンジョに14時に着くのが目標です。

荷物を背負ったゾッキョちゃん

さっそく、ゾッキョに出会いました。かわいい顔をしてますね。
ゾッキョは、ヤクと牛の交配種で、ヒマラヤの登山客の荷物を運んでくれる強い味方です。
こんな穏やかな顔をしてますが、牛よりも力強いのだそうです。
性格は温厚なようです。

さて、前の記事にも書きましたが、私は、国内線のチケットを片道しか買っていませんでした。
帰りのチケットは、ルクラにある航空会社のオフィスで購入する必要があります。
通りの左右の店をよく見て、航空会社のオフィスを探しながら歩きました。
すると、「SITA AIR」のオフィスが見つかりました。
オフィスは閉まっていました。
よく見ると、「03:00 TO 04:00 SALES OFFICE」と書いてありました。
そんな早朝に?しかも、たったの1時間だけ?

さらに歩くと「TARA AIR」のオフィスがありました。
ここも閉まっていました。
営業時間は書いていません。
近くにいたネパリに「TARA AIR のオフィスは何時に開くの?」と聞いてみると「午後2時〜3時」と教えてくれました。
さきほどの SITA AIR も早朝ではなく、午後なのでしょう。
そして、オフィスは1時間しか営業していないことがわかりました。
ということは、最終日はオフィスが開いている時間に、なんとしてもルクラに戻ってくる必要があります。
私は、TARA AIR のオフィスが開く14時までに、いや、その1時間前の13時までに、ルクラに戻ってこようと心に決めました。

9:30 ルクラのGATEから、エベレスト街道に出る

ルクラの街からエベレスト街道に出るゲート

通りを道なりに歩いていくと、ゲートがありました。
National Luminary Pasang Ihamu Memorial Gate
と書いてありました。
イハムという著名人が建てた記念門のようです。
ここが、ルクラの街の終点で、ここからが、登山道のスタートでした。

エベレスト街道の風景 1

登山道は、こんな感じで始まりました。
歩きやすい道です。
一本道なので、迷うこともなさそうです。
この写真には写っていませんが、人はけっこう歩いていました。
ソロ(一人で歩いている人)もけっこういました。
私と同じ、ガイド無し、ポーター無しのバックパッカーもけっこういました。

エベレスト街道の風景 2

空は快晴。
向かう先に山がくっきり見えました。
街道の脇には段々畑が広がっていました。

エベレスト街道の風景 3

点々とホテルや建物がありました。
休憩や宿泊には困らなそうです。

10:55 最初の吊橋を通る

エベレスト街道の吊橋

大きな吊り橋が、山あいの川の上に掛かっていました。
足元の板の幅は1mくらい、手元のロープの幅は2mくらいで、両手は届かない感じでした。
吊り橋の長さは20mくらいだったと思います。
ロープウェイに使われてるような、しっかりしたロープで吊られていました。
風が吹くと横に揺れ、歩くたびに縦に揺れました。
こんな吊り橋が、この後も何回か出てきました。

途中、黒いワンコが、私の後をついてきました。
ワンコはしばらく、私と一緒に歩きました。
すれ違った白人女性が「You have a friend. He followed me too.」と声を掛けてきました。
どうやら、いろんな登山客の後をつけているようです。
かわいいワンコです。

私の後をついてきたワンコ

エベレスト街道を歩いていると、けっこう声を掛けてくれる人がいました。
「Hello」「Good Morning」「Namaste」などです。
日本でも、登山道を歩いているとき、すれ違った人には必ず挨拶をしますよね。
登山道で挨拶をするのは、世界共通なのかもしれません。

11:15 Sherpa Kitchen で昼食

ガーデンレストランのようなところがあったので、昼食をとることにしました。
「Sherpa Kitchen」という店でした。
私が、席に着くと、黒いワンコもちゃっかり休憩していました。(それが上の写真です。)
私は、Mixed Fried Noodle を注文しました。Rs350でした。

エベレスト街道で食べた Mixed Fried Noodle

ネパールは、インドと中国と隣接してますので、ネパール料理はインド系のものと中国系のものが混ざっています。
カレーもあればモモ(餃子)もあるって具合です。
私は、中華料理の五目焼きそばを想像してました。
出てきた焼きそばにチーズが乗っているのを見てビックリ!焼きそばにチーズって?^^;
味は、薄味の焼きそばにチーズをかけた感じでした。

エベレスト街道は、世界中から登山客がやってきます。
中でも多いのが欧米人です。
欧米人って、海外に来ても食生活を変えたがらないですよね。(私の主観です。)
エベレスト街道で出てくる食事は、欧米人に寄せているものが多かったです。

Sherpa Kitchen の女主人に、現在地を訊ねると「Thado Koshigaon」とのことでした。
地図で確認すると、まだパクディンまでの半分しか来ていませんでした。
登山道を歩いて、既に1時間40分が経過していました。
このペースでは、14時にモンジョに着くどころか、今日中にモンジョに着くことすら難しいです。

トレッキング1日目のルートマップ

12:00 Thado Koshigaon を出発 → パクディンへ

私は歩くペースを上げました。

12:20 Nurning という村を通過。

Nurning の村
Nurning のストゥーパとマニ車

Nurning の村には、ストゥーパ(仏塔)やマニ車がありました。
マニ車を回すと、お経を唱えたのと同じことになるのだそうです。
旅の安全を祈り、私もマニ車を回しました。
マニ車は、街道のところどころにありました。

マニ車の後ろの大きな岩に書いてあるのはお経のようです。
お経が書かれた岩も、ところどころにありました。

Nurning の村から10分くらい歩くと、ドゥードゥコシが見えてきました。
ドゥードゥコシは、エベレスト街道沿いを流れる川です。ネパール語で「ミルクの川」という意味だそうです。
別府温泉とかにありそうな、きれいな黄緑色でした。
ドゥードゥコシ沿いを20分ほど歩くと、Phakding に着きました。

13:00 Phakding で休憩

Phakding は少し大きな村でした。
通り沿いのホテルのガーデンテラスで、ミルクティー(Rs50)を飲んで少し休憩しました。

Phakding の村とドゥードゥコシ

ここから怒涛の登りでした。
ここからが長かったです。

2時間必死に歩き続け、やっと村らしきものが出てきました。
15:00 Bengkar の村です。
Phakding から Bengkar の間は、山道で、何も無かったと思います。

Bengkar の村にあったストゥーパ
Bengkar にあった巨大な岩

今、冷静に考えると、この村に泊まっても良かったのですが、私はどうしても Monjo まで行きたかったのです。
何故なら、カトマンズで購入した地図に、「インターネットが繋がる」「電話が通じる」などのマークが入っていました。
Phakding の次にネットや電話が使える村は Monjo で、その途中の村にはマークが無かったのです。
その頃、彼氏に依存していた私は、どうしてもネットか電話を使いたかったのです。。。

15:40 Chhamuwa のチェックポストでTIMSカードを作る

Bengkar を通り過ぎ、さらに40分歩くと、チェックポストがありました。
日本で言えば交番みたいなものじゃないでしょうか。
そこに1人の軍人さんがいました。

軍人さん「Namaste! Welcome to Nepal. Do you have a TIMS Card?」
「No, I don’t have.」
軍人さん「You want to make it here?」
「Yes!」

TIMSカードは、ものの3分で簡単に作れました。申請料はRs2,100でした。
私がTIMSカードを作っている間にも、3人の旅行者がやって来ましたが、3人ともそこでTIMSカードを作っていました。
TIMSカードの作成に必要なのは、パスポートのコピーと、パスポートサイズの写真2枚です。
(2021年現在は、さらに行程期間中の保険証書のコピーが必要なようです。)
TIMSカードについては、ネパール観光庁のホームページをご確認ください。

TIMSカードの裏面

16:10 Monjo 着

Monjo の村

とうとう目的地 Monjo に着きました。
私はまず、地図に記載されている『Sagarmatha National Park Internet Cafe』を探しました。
しかし、Cafe は見つかりませんでした。

通り沿いに、ホテルが20軒くらいあったと思います。
次に私は「Wi-Fi」のマークがあるホテルを探しました。
何故なら、ルクラのホテルやカフェには、入り口に Wi-Fi やクレジットカード、航空会社のロゴマークなどが表示されていたからです。
でも Monjoでは、どのホテルにも、そのようなマークはありませんでした。

Monjo の宿 Hotel Mini Tibet

私は、屋根に大きなアンテナのようなものがある「Hotel Mini Tibet」に入ってみました。
宿のご主人に「Can I use the internet here?」と聞いてみると、ご主人は無言で頷きました。
どうやら、ネットが使えそうです。
私は、そのホテルに泊まることにしました。

Hotel Mini Tibet

2Fの部屋に案内されました。
素泊まりで1泊Rs500でした。
ツインルームで、シャワーとトイレが付いていました。
部屋は明るかったです!嬉しい!
シャワーは、ちゃんとお湯が出ました。臭くありませんでした!
3日ぶりにシャワーを浴びれます。やったー \(^^)/

ツインルームの明るいお部屋

私は早速ネットが使えるか試してみました。
しかし残念ながら、ネットは繋がりませんでした。
宿のご主人は「うんうん」と頷いているように見えたのですが、日本とネパールでは首の振り方が違うのかもしれません。
ネットが使えないのはもう仕方ありません。
明るい部屋で、シャワーを浴びられるだけで大満足です。

なお、後々、地図をよーく見て気付いたのですが、「インターネットが繋がる」だと思い込んでいた、地図上のアイコン[iマーク]は、「Information」だったことがわかりました。
エベレスト街道では、ルクラとナムチェ以外では、ネットは繋がらないようです。
(2013年の情報です。現在は繋がっているかもしれません。)

私は、1階のダイニングに行き、レモンティーを飲みました。
カップに漢字が書いてありました。(何と書いてあるかは忘れてしまいました。写真を拡大してもよくわかりません。男性の名前だったと思います。)
日本人だから、日本のカップに入れてくれたようです。

Hotel Mini Tibet のダイニング

レモンティーで一服した後、部屋に戻りシャワーを浴びました。
ぬるま湯でした。冷たかったです。35℃くらいだったんじゃないでしょうか?
日中は、半袖Tシャツ1枚で過ごしたのですが、シャワーを浴びた後、ものすごい寒気が襲ってきました。
寒い!寒すぎる!!
私は持っていた防寒着(ダウンとレインウェア)を着込みました。
それでも寒い!!!
気温はおそらく氷点下だと思います。
部屋に暖房はありません。
こんな極寒で眠れるだろうか?
Monjo の標高は 2,835m です。
明日の Namche は 3,440m です。明日はもっと寒いでしょう。ちょっと心配になってきました。

18:00 初の本格ネパール料理の夕食

夕食を食べにダイニングに行くと、ストーブがついていました。
あったかい!
寝室には暖房が無くて、共有スペースにだけストーブがあるのは、日本の山小屋と同じですね。

客は私だけでした。
ダイニングは暖かかったですが、照明は暗かったです。カトマンズのホテルと同じでした。

私は、店主のオススメのカレーとライス、モモ、マサラティーを頼みました。
私はネパール料理が大好きです。でも、それは日本で食べたネパール料理です。
本場のネパール料理を食べるのは、これが人生初でした。
どんなに美味しいでしょう!楽しみです!!

Hotel Mini Tibet で食べたカレーライス

とにかく暗いので、写真がうまく撮れませんでした。
カレーの具は、何かの肉でした。何の肉かよくわかりませんでした。
日本ではカレーに入れる肉と言えば、モモ肉とか、スネ肉とか、ですよね。
本場のネパールカレーには、内臓も、骨も、その動物の何もかもが入っている感じでした。
けっこう臭味がありました。骨は固くて食べれなかったです。
日本のネパール料理店は、日本人向けの料理を提供しているんだ!と解りました。

Hotel Mini Tibet で食べたモモ

モモは、丸いタイプではなく、餃子タイプでした。
皮が厚くもっちりしていて、ジューシーで美味しかったです。
でも、9個も出てくると思っていませんでした!
残すのは申し訳ないので、がんばって完食しました。

それから、宿のご主人に電話を借りました。
ちょっと大きめの携帯電話でした。
彼氏に電話してみました。繋がりません。
電波が悪いのかな?と思い、外に出てみましたが、繋がりません。
ご主人に「It doesn’t work.」と言うと「繋がるはずですよ。私が掛けてあげます。番号教えて。」とのこと。
番号を教えると、ご主人は「81」の前に「00」を押していました。繋がりました!
最初に「00」が必要だったんですね。

明日の朝食は7時とのこと。
日本の山小屋だと5時くらいに朝食で、6時には歩き始めるのですが、エベレスト街道の朝は遅いようです。
お腹が空きそうです。
私はミネラルウォーターとスニッカーズを購入しました。(支払いは翌朝のチェックアウト時です。金額は確認しませんでした。)

部屋に戻ろうとしたとき、ご主人が「Do you need a Blanket?」と聞いてくれました。
良かった!毛布を借りれました!
おかげで、極寒の部屋でも、暖かく眠れました。

3日目に使ったお金

カトマンズのホテルから空港までのタクシー(Rs600)600円
空港で朝食(ミルクティーとサンドイッチ)(Rs370)370円
昼食(Mixed Fried Noodle)(Rs350)350円
Phakding で飲んだミルクティー(Rs50)50円
TIMSカード申請料(Rs2,100)2,100円
合計3,470円

続きはこちら
エベレスト街道ひとり旅(4日目:モンジョ→ナムチェ)

“エベレスト街道ひとり旅(3日目:カトマンズ→ルクラ→モンジョ)” への1件の返信

コメントは受け付けていません。